過去、未来。これからの気持ちを。(2021.4.21)

宮垣 貴成
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「いわゆるおばあちゃん子」だった私。

実家が食堂で幼き頃は、近所に住んでいる祖母の親友(同級生)「くーちゃん」に面倒を見てもらっていた。

父方の母親よりも長い時間を過ごし、私にとっては3番目の祖母。

引っ越しすると聞いた時はずっと泣いていたし、帰って来ても泣いていた。

4世帯家族という大家族で育った私は、困った事があれば祖父母だけでなく近所にある彼女の家に逃げ込んでいた。

自分の孫よりも可愛がってくれ、会う度に「貴ちゃんの嫁を見たい。見るまで生きていられるかなぁ~」が口癖だった彼女。

学生時代までは頻繁に家にお邪魔していたが、就職して働き出してからは、家族もいるなかお邪魔するのは気遣う。

それでも二つ隣の家だから会おうと思えば会えたはず。

ただどんどんと会う機会はなくなり、会うのは誰かのお葬式の時になっていた。

娘を連れて彼女にお土産を持って行った。

泣いて喜び何時間も話をした。

子供を見るだけで喜び、私の祖母の代わりに娘に色々としようと張り切ってくれた。

娘に小遣いを渡そうとするので、それだけは断り「また来るわ」と。

たまに彼女と話をする時、私は彼女から見ればまだ幼稚園児。何を言っても褒めてくれ喜んでくれる。

コロナ禍になる前に話をして「また来るわ」といつもの挨拶。

あれ以来会っていない。

自動販売機にジュースを買いに行ける距離に住んでいても会う事はなかった。

時々彼女の事がふと頭に浮かぶ事があっても、仕事を言い訳にして行かなかった・・・。

祖母の時も仕事を言い訳に病院に見舞いに行かずに亡くなった。

今回も同じで「またね」の次はなかった。

本当に悔いが残るお別れだ。

人は「失って初めて気付く事がある」という事を知っている。

そして、知っているのにまたも失って気付く馬鹿な生き物だ。

生きている限り、気持ちを切り替えながらも後悔する時は必ずあるだろう。

やって後悔するのと、やらずして後悔するのは雲泥の差だ。

前者は納得できる未来を秘めているが、後者は自責の念しか残らない。

二つ目の自責の念を残してしまった私。

せめて両親にくらいこうならないようにしよう。

この後「くーちゃん」の告別式に。

最後くらい笑顔で!と言いたい所だが、私の泣き顔を見るのは慣れているだろうから思いっきり泣かせてもらおう。

最後まで迷惑かけてごめんなさい。そしてありがとう。

(宮垣)

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